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「生きがい」について

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生きがい

 専ら「生きがい」に関わって30年位になります。それでも、「生きがいって何か」と改まって問われると、なかなか即答できないものです。
 何故なら、「生きがい」という言葉について受け止めている意味や感じ方などが、一人ひとり違うからです。
 では、「生きがいって何か」と問われた時にはどうするかというと、瞬時に頭のなかで、この人は「生きがい」については、どのようなことだと思っているのだろうか、聞きたいことはどういうことなのか、と想像を駆けめぐらせて判断し、多分そうだろうと思ったことで答えることにしています。
 そしてその結果は、本人が思っていたことや聞きたかったことなど、意図していた質問の答えと違う視点からの答えをすれば、「それは生きがいのことではない」とか「講師の答えはずれている」といったことになります。
 講演を頼まれて話す時も同様です。聴衆者全員が納得するような話などは、なかなかできないものです。
 でも経験とか慣れで、最近では相手によって、「この人には、このように生きがいを話してみよう」ということが、おぼろげながら浮かぶようになってきたと思っています。

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生きがい」の領域

 「生きがい」について聞こうとする人には、大きく分けて三つあるのではないかと思います。
 一つは、生きる意欲とか生きていく対象が見い出せない、あるいは失ってしまったと思っている人たちで、いわゆる「生きがい喪失」という面から聞きたいという人たちです。この領域の人たちへの対応は、結構難しくなります。
 二つ目は、個人の「生きがい」を社会や会社という組織との関係のなかで、自分自身を見い出せない、といったように組織との関わりとか、生産性と人間性を相対的に捉えようと「生きがい」を模索する人たちです。この領域の話は、最近個人の自立ということが、大きく叫ばれてきているので、話し易いようです。
 三つ目は、「生きがい」を純粋に精神現象として捉え、倫理的、哲学的、宗教的、人生論的に「生きがい」を模索している人たちです。この領域の人たちが一番多い訳であるが、答えが多岐にわたるので納得していただくのは大変なことです。
 このように「生きがい」と一口に言っても、一人一人の持っている生きがい感は、これだけ違うものなのです。「生きがい」は人の数だけあると言われるのも、そのためであるといえましょう。


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生きがい」という言葉の意味

 「生きがい」の意味は、様々な辞書を見ると「生きている値打ち、しるし、手応え、価値、生きている実感など」となっています。
 文法的には、「生きる」に「かい(甲斐)」を付けたものであるが、後にくっついている「かい」と言う言葉が重要なのです。「かい」という言葉を使ったものには、「やりがい」「働きがい」「遊びがい」といったものから「やらせがい」というように他人の行動に影響させるような言葉として使われています。こうした「かい」の使い方については、古くは万葉の時代から万葉集や竹取物語にも使われてるようです。どこのとこで使われているかについては、長くなるので省略しますが、そこで使われている「かい」の意味は、「価値とか意味あるもの」として使われているようです。
 もう一つ、意味を考えるうえで参考になるのが、言葉の語源です。この「かい」についての語源は古く、おそらく紀元前11世紀からということが言えそうです。当時は貨幣が無く、物々交換であったのが、ようやく貨幣の代わりに貝が使われ始めた時代です。貴重な貨幣の代わりである貝(この貝は学名タカラガイ、俗名「子安貝」であると言われています。貝の付く字は財産とか価値のあるものに使われていることからしてもわかるように、価値のあるものに使われているのです。詳細についての説明は別のコーナーで取り上げますが、ここでは、要するに「かい」という言葉は言葉の語源からしても価値のあるものという言葉であるということが言えます。  したがって、「生きがい」と言う言葉の意味は、「生きている価値や生きている意味」という言葉で捉えておくと分かりやすくなります。
 そして「生きがい」と言う言葉は、多分に観念的な言葉であるともいえます。
 「生きがい」は、現在、生きている状態のなかでの充足感や満足感や幸福感が得られている、という心での感じ方を表現する言葉としても使われているからです。
 いわゆる、生きがいが感じている状態を表現しているものと言えます。


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生きがい」を感じている状態

 では、「生きがい」を感じている状態とは、どの様な状態を指すのだろうか。
 多分、こう言うことではないのでしょうか。
 ある目的や目標を持っていて、それに向かって達成しつつある状態でにあるとき。
 それから、現在何かを行っていて、それが非常に満足のいく状態にあるとき、言い換えれば「やりがい」とか「働きがい」「遊びがい」「暮らしがい」といった具体的な行動・行為のなかで充実感や満足感を感じるとき、と言えるのではないだでしょうか。
 このように、生きがいは抽象的な状態で感じるときと具体的な行動・行為の中で感じるときの二つの側面があるといえよう。
 そうすると、前者のような状態で感じる生きがいを「観念的な生きがい感」、後者のような状態を「現象的な生きがい感」と言うことができよう。


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生きがい」の源は価値観

 次いで、生きがいはどのような時に感じるのか、あるいはどのようにどのくらい感じるのかというと、その感じかたを測る物差しが必要となります。その物差しとは、人間の行動・行為や意志を決定づける基本となる価値観にあるといえるでしょう。
 私たちの生き方や人生観や生活観は、それぞれの価値観によって左右されていることからしても生きがい感と価値観には相関関係があると言えます。価値観は、価値観が親から受け継いだ素質と生まれ育った環境からの影響による価値基準、それに自らの努力によって習得したものから得られる価値基準の三つによって形成されているものだと思います。とすると、生きがいをどのようにどのくらい感じるかについては、そのひとの価値基準がどこにあるかということになります。
 したがって、生きがいをより多く持つと言うことは、この価値基準をどう高める変えるか、と言うことになります。
 価値観を形成するなかの素質の部分は、遺伝的要素が強いので変えることは大変難しいことになります。もし、変えた場合は自己喪失にもなりかねません。そうすると後の環境とか習得していく部分で高めていくか、変えていくかということになります。
 このように、価値基準を高めていくといっても、何をどう高めて行くのかということが大変重要になってきます。

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生きがい」の行動・行為

 「生きがい」をより多く感じるために価値基準を高めていく方法として、私たちの行動や行為のなかから具体的に考えてみると次のようになります。
 まず、私たちの行動や行為は、大きく分けると次の三つのパターンに分けられます。
 一つは、自分の楽しみや趣味として行う盆栽とか読書とか観劇といった、自分一人での活動を主体とした行動・行為です。これは一人称関係のパターンと言うことができます。
 二つ目は、家族とか友人等と行う趣味、旅行、スポーツといった、自分と相手との関係においての行動・行為です。これは二人称関係のパターンと言うことができます。
 三つ目は、自分と誰かといった第三者や不特定多数の人との関係である地域活動とかボランティア活動などで、他者のために何かをする行動・行為です。これは三人称関係のパターンと言うことができます。
 この三つのパターンで得られる生きがい感を分析してみますと、一人称関係では自分自身の満足感とか充足感が得られられます。二人称関係では自分自身の充足感や満足感と自分と相手と共に感じる存在感も得られます。三人称関係では一人称や二人称の関係で得られるものの他に、他者への貢献ということによって使命感も得られます。このように、生きがいのための行動・行為は、分類することができます。

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生きがい」を高める

 「生きがい」の行動・行為から生きがいが感じられる度合いは、一人称では満足感や充足感だけであったのが、二人称ではそれに存在感も得られます。三人称ではさらに使命感も得られるということは、当然、一人称より二人称、二人称より三人称のほうが、得られる「生きがい」は多いということができるでしょう。
 そうすると、生きがいづくりを行動・行為の面から捉えるならば、一人称的な活動から二人称的活動、三人称的活動へと発展させていくことが必要なことと言えます。
 「生きがい」は役割があることとか、家庭や会社あるいは社会で一員として存在が認められていることが、必要と言われているのもこれで納得できます。

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生きがい」への関心の変化

 「生きがい」という言葉が、どのように使われてきたのかを書籍とか文献のタイトルで調べてみた。トウハンの60万冊の中から検索してみると、昭和二十年代からちらほら見かけられる。数多くなるのは、昭和四十年代頃からである。
 内容の面でみると、戦後の復興から高度成長にかけての生きがい関係は、喪失した生きがいを如何に復活させるかというようなものが見受けられます。高度成長が始まる昭和四十年代頃になると、組織と個人との関わりといったような生きがいの組織論が現れてきます。昭和五十年代頃になると生き方とか人生の目標としての生きがい論というように発展してきています。そして、昨今では、ゆとりとか老後の生き方として、多様な生きがい論が登場してきているようです。
 このように「生きがい」は時代とともに様々な形で取り上げられてきています。


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これからの「生きがい

 これからの時代における生きがいづくりは、中高年や高齢者のものだけではなく、主婦にとっても、青年にとっても、子どもにとっても、学生にとっても必要とされ、多様な形での生きがい追求が始まろうとしていると言えます。
 また最近では、生きがいの問題は、中高年サラリーマンの定年退職後の生き方としても取り上げられています。また、企業のリストらとか雇用調整といった雇用環境の厳しさのなかでも中高年サラリーマンの生き方が捉え直されようとしています。そこでは、生きがいづくりが新たな価値観の発見や自立のなかで考えられています。
 多様な価値観やライフスタイルを持てる今日、より「生きがい」のある生活や人生を持つことは十分可能な時代です。21世紀は、「生きがい」のある本質的なライフスタイルを求めていく時代になると言えるでしょう。

 ここに述べてきたのは、「生きがい」についての極くさわりであり一部であります。「生きがい」とは、それほど幅があり奥行きがあります。当分の間、この泥沼から抜け出せそうもないようです。


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