生きがいと欲求の関係は、切り離して考えることができません。
生きがいを感じるときは、満足感や充足感が満たされたときでもあるからです。
人間の欲求には、右の図のように大きく分けると五つの段階があるといわれています。
では、どのような欲求を満たしたときに生きがいが感じられるのかというと、第一段階の「生理的欲求」では、食物・空気等、生存に必要な最低限の欲求を満たした時、第二段階の「安全の欲求」では、危機や障害、苦痛等を避けようとする欲求が満たされた時、第三段階の「所属と愛情の欲求」では、家族や社会・組織等の一員として認められたいという欲求が満たされた時、第四段階の「自尊の欲求」では、自己の存在価値を感じたい欲求が満たされた時、第五段階の「自己実現の欲求」では、自分の能力を高め発揮したいという欲求が満たされた時、であるといえましょう。
多くのひとが物質的な面では満足し、精神的な面の充足を求めている今日においては、この欲求の五段階に当てはめれば、我々は第三段階から第五段階を目指して努力しているといえる。勿論、生きがい取得と生きがい度という面から捉えると、第五段階の自己実現の欲求を満たすことが究極の生きがいともいえます。
したがって、欲求を大きく分けると、第一段階と第二段階は人間が生きていくうえで基礎となる欲求であり、第三段階から第五段階については、基礎的な部分を満たしたうえで、付加される欲求であるといえます。
このように人間は、各段階の欲求を持ち満たそうと努力しているのです。
ところが、各段階の欲求が満されたとき生きがいは感じられるが、なかには、第一段階で充分生きがいは感じられるという人もいれば、第五段階でなければ生きがいは感じられないという人もいます。
どの段階で生きがいを感じるかは、その人それぞれの価値観によって違ってくるといえましょう。
そして欲求は、ときとしてどの段階かが満たそうにも満たせられないことに直面することがあります。
不意に直面することもあれば、加齢とともに直面していくこともあります。
直面したときに、生きがい喪失に陥ってしまうことが多々あるようです。
さまざまな欲求を満たすために人間は生きています。
欲求を満たす努力をして成果が現れている課程で、また努力が実ったときに、生きがいは感じられるものです。
生きがいづくりのためには、欲求を持ち続けることが大切だといえましょう。
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